SAN DIEGO UNION TRIBUNE 1998 (米国「サンディゴ・ユニオン新聞」1998年)
Greg Vaughn's Turnaround
サンディゴ・ユニオン紙のベテラン・コラムニストであるトム・クッシュマンはサンディゴ・パドレスのレフト、グレッグ・ボーン選手の1998年における躍進は、「30年以上大リーグ担当記者としての最も衝撃的なカムバック」であるとした。
憂鬱な1997年シーズンの途中でも、終わってからでも、パドレスはグレッグ・ボーンをトレードしようと試みていた。最初はトロント・ブルージェイズのジョー・カーターと、その後ボストン・レッドソックスのスティーブ・アベリィと話しがあった。しかし成立せず、最後に1997年の7月、ニューヨーク・ヤンキーズへトレードされることになった。だが2日後ヤンキーズはボーンの肩の問題があるとしてこのトレードをキャンセルしてきた。ボーンはそのシーズンを今までで最も低い.216、18本塁打、57打点で終了した。パドレスはボーンをイクスパンション・ドラフトに残留させたが、どこのチームからオファはなかった。
1998年のスプリング・トレーニングでもボーンの処遇ははっきり決まっていなかったが、その年の最初に、オプトメトリストのDr. David Kagiyamaによって検査を受けたところ、なんらかのビジョンの問題を発見し、レモングローブ市の同じくオプトメトリストであるDr.Carl Hillierへ紹介された。Dr.Hillierはビジョントレーニングとスポーツビジョンのスペシャリストであった。ボーンを検査したところ、彼が本来の力を出すのに障害となっている眼の問題があるのを見つけたのである。早速ボーンは、Dr.Hillierの指導により視覚-運動反応のためのビジョントレーニングを開始した。
ボーンは短期間で高い効果を見せ、直ちにビジョントレーニングの主唱者となってしまった。ボーンは彼の得た効果を説き、自分のチームメイトばかりでなく他のチームの何人かの選手までもビジョントレーニングをおこなうべくDr.Hillierへ紹介したのである。ボーンはまたいくつかの全国紙やまたESPNでも、ビジョンと打撃の重要な関係について解説したのである
ボーンは「ビジョントレーニングをするという概念は、目標物を拾い認識し、情報を眼から脳へ送るために必要なことだ;自分自身を向上させるためにこれを使わない手はないよ」と言った。Dr.Hillierは「ボーンはプロであり自分を向上させるため役立つと思えば何でもやる。ボーンにとってビジョントレーニングは高い効果を見せた」「彼はサンディゴにチームが居るときは必ず診療所に来たし、98年シーズンを通して宿題のトレーニングを真面目にやり通した」と言った。
結果は衝撃的だった。ボーンは.282を打ち50本塁打と119打点でシーズンを終えた。8度のバッティング・チャンピオンのトニー・グイン曰く「彼がいなかったらパドレスはどうなっていたかと思うとぞっとする。まず一位になんかなれなかったろう。ボーンのお陰だ。」
1998年プレイオフでパドレスはヒューストンとブレーズスを破り14年ぶりにワールドシリーズに出場した。ヤンキーズにはしてやられたが、この年ヤンキーズは最も高い勝率を残したのである。もしボーンがヤンキーズに入っていたら、ヤンキーズの記録は更に更新されていたのかもしれない。Dr.Hillierによるとボーンはビジョントレーニング・プログラムを引き続き続け、1999年シーズンのために準備するそうである。