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困った子どもではなく、困っている子どもなんです
●困った子どもたち?
困った子どもではなく、困っている子どもなんです・本を読むのが苦手
・手先が不器用、字がきたない
・板書が他の子供にくらべてとても遅い
・運動神経が鈍く特に球技は苦手である
・理由もなく転んだりする
・漢字が覚えられない
・算数や図形の問題が苦手だ
・いまだに左右の認識がハッキリしない
・ひとつのことになかなか集中できない
・リズム感が悪い・・・・
 
・・・落ち着きがない、集中力がない、友だちとうまくやれない、不器用だなど、こういった‘困った子ども’を形容する言葉は色々あります。
 
見かけはまったく普通の子ども。
利発で、とても知能が低いようには見えません。しかし何故か学業あるいは運動の方は苦手。さらに行動が他の子どもに比べどこか違っている・・・?
●子どもはまず自分を知ることから始まる
困った子どもではなく、困っている子どもなんですからだに不自由なく健康に生まれてきた子どもなら「何もしなくても普通に成長していくもの」と考えるのは必ずしも正しくありません。
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まず、子どもは発育の中で自分のからだの認識力(body awareness)を高めていく必要があるのです。五体満足に生まれた子どもでも、からだの各パーツ、すなわち腕や足、膝などの配置や大きさ(3D的サイズ)・それらの相互関係(からだの構成)・働き(どうやって曲げたり動かしたりするのか)についての適切な「知恵」を発達させていかなくてはなりません。
 
困った子どもではなく、困っている子どもなんです
 
そのためにはたくさんの運動体験(motor experiences)が求められ、そういった体験により自分自身の正しい認識とよりコーディネイトされたからだの動きが生まれるのです。
●さらに見ることの技術も
こういったからだの大きな筋肉の運動−総合運動(general movement)と同様に、目や指、唇を動かす小さな筋肉の弁別運動(discriminative movement)にもまったく同じことが言えます。
特に、その中で目は重要です。
 
困った子どもではなく、困っている子どもなんです読んだり、書いたり、計算したりのすべてが、文字、数字、記号などを見極めることから始まるように、学校で子どもたちが関わる作業のほとんどが目の働きに依存しています。
つまり目は学びが発生する第一の道具であると言っても過言ではないのです。
 
困った子どもではなく、困っている子どもなんです 視力はほとんどの場合生まれてから何もしないでも身につきます。
 
困った子どもではなく、困っている子どもなんですしかしふたつの目を柔軟に使って空間を把握し、モノのかたち、色、大きさなどを正しく認識する。そしてそういった情報を多角的に分析するための「見る力」すなわちビジョンは、たくさんの「意味ある体験」を元に、しかも「からだの認識力」と連動しながら発育の中で身につけていくものです。
視力が良くても、必ずしも適切な「見る力」が身についているとは言えないのです。
●学業と視覚の強い関係
困った子どもではなく、困っている子どもなんですオプトメトリー制度のある欧米やその他の国々では「学業と視覚」の関係について長いあいだ研究がされ、子どもの両目の使い方、目とからだの動きとの協調性、視覚認知力などに問題や遅れがあると、学業でとても苦労する可能性があることがわかっています。
こういった子どもの場合、勉強とは本来楽しい体験でなくてはならないはずなのに、学ぶことの喜びを体験することさえ難しくなるのです。
●困っている子ども
仮に視力は良くても、理想的なビジョンがすべての子どもに備わっているとは言えず、育てられた環境や個人差によっては、ビジョンをうまく使えないでいる子どもがいます。
 
親や先生が思う‘困った子ども’の中には、ビジョンがうまく働いていないため、自分の持つ能力を十分発揮できないでいるケースもあるわけです。
つまり、実のところ一番‘困っている’のは、子ども本人なのです。それを理解してあげて欲しいのです・・・・。
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