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見るトレ 〜 ビジョントレーニングとは?
☆メジャーリーガー・ジョージ・ブレット(George Brett) (メジャー殿堂入選手)
メジャーリーガーとビジョントレーニング
Sports Vision:1997年春号
USA Today Baseball Weeklyで取り上げられたスポーツビジョントレーニングの紹介記事
 
見るトレ 〜 ビジョントレーニングとは?George Brett(ジョージ・ブレット)は、それは自分がメジャーに上がる時の助けとなったと言った。Willie McGee(ウィリー・マクギー)は、それが彼の現役寿命を延ばしてくれたと告白した。Barry Bonds(バリー・ボンズ)曰く、それが彼に強み(edge)を与えてくれた。そしてDevon White(デボン・ホワイト)は、それが自分の野球キャリアを180度ひっくり返したとまで証言した。
 
彼らメジャーリーガー達が言う'それ'とは、焦点合わせ能力や奥行き知覚、目の反応、目と手足の協調性といった視覚技術を向上させる「ビジョントレーニング」のことである。 「このトレーニングは視力を良くするためにするわけではないんだ。しかし、動いている目標物をしっかり目で捕らえるためなどには大変効果がある。」とカリフォルニア州ラグーナビーチで開業するオプトメトリストであるDr. William Harrisonは言う。彼はスポーツビジョントレーニングのパイオニアの一人である。30年以上前に、彼はカリフォルニア州大バークレイ校の野球部でピッチャー(Andy Messersmithとチームメイトであった)としてプレイしていたため、いつも打撃の科学〜ボールを目で捕らえること〜には特別な興味を持っていた。
 
「私はいつもテッド・ウイリアム(Ted Williams)ズのような選手には好奇心をくすぐられた」と彼は言う。「何が彼をあのような特別な選手に仕立て上げたのだろう?テッドは他の選手が持ち合わせていない何かを持っていた。」「私は仕事柄、例えば2.0といった非常に良い視力を持った人をたくさん見てきた。しかしだからといってボールをテッドのように打てるわけではない。何故ならそこに視力以外の何かがあるからだ。」と彼は考えてきた。その答えはDr. Harrisonがオプトメトリストとして、眼球追跡能力、コントラスト感度、両目のチームワークなどの視力以外の多くの目の要素を研究してきた時、非常によく理解できたという。「つまり、車輪にはたくさんのスポークがついているということだ。」とDr. Harrisonは言う。
 
最初は皆Dr. Harrisonの言葉に耳をかさなかったが、1970年フロリダに革新的なロイヤルズ・ベースボールアカデミーを開いた、メジャーリーグのカンザスシティ・ロイヤルズの前オーナーであるアーウイン・カフマン(Ewing Kauffman)は違っていた。
Dr. Harrisonは「私がカフマンにアプローチしたのは、彼がしっかりしたビジョンを持った進歩的なアイデアの持ち主であると思ったからだ」と続けた。「1972年にカフマンは私に声を掛けてきた。しかしびっくりさせられたよ、カフマンはアカデミーの選手ではなく、メジャーの連中のめんどうを見るように依頼してきたんだ」と言う。
 
72年シーズンのロイヤルズですぐさま違いが現れた。リッチー・シェインブラム(Richie Scheinblum)は前シーズン.143の打率からから、そのシーズンは.300へジャンプした。エド・カークパトリック(Ed Kirkpatrick)は.219から.275へ、ルー・ピネラ(Lou Piniella)は.279から.312へと打率を上げた。実はピネラが彼の選手生活を始めた頃は、片目だけでボールを打っていたという事実があったのだ。ピネラは両方の目にそれぞれ1.0の視力を持っていたが、彼の脳は一度に片目ずつしか使っていなかったのである。そればかりか、ピネラは同じピッチングの1/2秒以下のあいだに、使う目を変えてしまっているのである。数週間に及ぶビジョントレーニングがこの問題を解決した。「最初ピネラは両目を一緒に使っていなかったから立体視に問題があったんだ。」とDr. Harrisonは言う。「また別の問題もあった。ピネラはまばたきのたびに、物体がほんの少しの間だけれども二重に見えていたんだ。特に3塁ベースでのポップアップフライを捕ろうとしている時にはね。」
 
ビジョントレーニングではひもについたボールから、点灯する光に反応するものまで様々な機械や道具を使ってトレーニングをおこなう。「私は多分50以上のドリルや器具を使う」とDr. Harrisonは言う。例えば泳ぐことと同じように、一度その技術を憶えたら生涯その知識は消えない。彼は「これは腕立て伏せや腹筋トレとは違い、一度止めたらそれまでに得てきたものを失ってしまうことはないんだ。」「むしろ自転車に乗るようなものだよ。一度乗り方を覚えたらいつも乗って練習する必要性はない。」と言う。「理想的には、毎日30分間3週間やれば、良い効果を得ることができるだろう。」
 
何年間ものあいだに、ダスティー・ベイカー(Dusty Baker)、バリー・ボンズ(Barry Bonds)ボビー・ボニラ(Bobby Bonilla)、ドン・マッティングリー(Don Mattingly)、ウィル・クラーク(Will Clark)、トニー・グイン(Tony Gwynn)等のような選手達がビジョントレーニングの効果による恩恵を受けている。
 
カリフォルニア・エンジェルズ(現アナハイム・エンジェルズ)のゼネラルマネージャーのマイク・ポート(Mike Port)は、当時外野を守っていたデボン・ホワイト(Devon White)に、Dr. Harrisonはすぐ近隣で開業しているのだから一度彼の検査を受けにいくように強く勧めていた。最初デボン・ホワイトはなかなか言うことを聞かなかったので、彼のエンジェルズとしての最後の年となった1990年に、ポートが自らホワイトをDr. Harrisonのオフィスまで連れていったのであった。次の年にデボン・ホワイトの打率が.217から.282になったのは単なる偶然だったのであろうか?「デボン・ホワイトはボールを見ることにおいて確かにものすごく上達した。」「しかし、ひとつ重要なことは、彼らの成功の直接の原因は彼ら自身にあるということだ。私は彼らに重要な情報を与えたが、彼らがすべて自分で一生懸命トレーニングしたのであるし、グランドへ出てボールを打ったのは彼ら自身なのだから。」とDr. Harrisonは謙虚に言うが、デボン・ホワイトはDr. Harrisonのトレーニングを「自分の野球キャリアを180度ひっくり返した」として認めている。
 
4月に月間11本塁打でメジャーリーグ記録タイとしたバルチモアの外野手のブラディ・アンダーソン(Brady Anderson)は、1992年にDr. Harrisonのトレーニングを受けた。「あのオフシーズンから、ビジョントレーニングはウエイトやランニングと並んで自分の毎日の日課となったよ。もし皆も効果があると考えるならば、試すべきだ。結構楽しいよ。」
 カンザスシティ・ロイヤルズのジョニー・ダモン(Johnny Damon)、マイケル・タッカー(Michael Tucker)、ジョー・ランダ(Joe Randa)などが最近ビジョントレーニングによって改造されつつある選手である。アトランタ・ブレーブスのチッパー・ジョーンズ(Chipper Jones)はトレーニングはしていないものの、毎年Dr. Harrisonの所まで出向きチェックを受けている。限られた範囲であるものの、チッパー・ジョーンズはそこに価値があると考えている。 「立体視のトレーニングでは、あるトレーニング機械のハンドルをどれぐらい離しながらその絵に焦点を合わせることができるかをやるのだが、バリーボンズなどはきっとこーんなに(と両手を広げながら)離すことができるんだろうなと思ってしまうよ。」と言っていた。
 
もうひとつのビジョントレーニングの大きなセンターはオレゴン州にあるパシフィック大学のファミリービジョンセンターである。オプトメトリストのドクター・コフェイとドクター・ライキャルはすでに2,000人以上のスポーツ選手を検査しており、この中には100人以上の野球選手が含まれている。ほとんどのビジョントレーニングは個人レベルで行われている。チーム全体で取り組んでいるところはまだまだ少ない。Dr. Harrisonは「まだまだ高い優先順位をもらえないんだ。」「まだしばらく時間はかかるさ」と言う。
 
メジャーリーグのチームの執行部の人間でビジョントレーニングについて最も理解しているのがボルティモア・オリオールズの選手育成ディレクターのシド・スリフト(Syd Thrift)だ。メジャーリーグにおける彼の39年間のキャリアの中で、彼の関わってきたチームはすべてなんらかのビジョントレーニングを行っている。彼がピッツバーグ・パイレーツのゼネラルマネジャーを務めていたとき、ビジョントレーニングルームを球場内のビジターのバッティングケージの近くに造った。「それは選手には強制ではなかったが、選手はそのトレーニングに非常に高い興味を示していた。」1991年にシド・スリフトがロスアンジェル・ドジャースのためにコンサルティングの仕事をしたとき、3Aのアルバカーキーの選手がビジョントレーニングを実施した。「そのうちで我々が一番手を加えたのがリリーフ・エースのジョン・ウェットランド(John Wetteland)だった。次の年にはしっかりメジャーへ上がったよ。」また「私がシカゴ・カブスにいた1993年には、ホセ・ヴィズカイノ(Jose Vizcaino)の変貌ぶりがめざましかった。彼はその年19本の二塁打を打ち、打率.287だった。彼があんなふうに打ったのは初めてだった。」ホセ・ヴィズカイノは「ビジョントレーニングはボールを見て、集中し、よりよいタイミングを与えてくれた。それは確実にこの数年の自分の成績に貢献したと言える。」とコメントしている。
メジャーリーガー
ジョージ・ブレット氏
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